呆れた中国の対抗策!
【中国ビザ停止】混乱拡大…ゼロコロナ政策“崩壊”…春節“帰省しない人にボーナス” …は習主席の「引くに引けない事情」があるようです。 東京・江東区にある中国ビザ申請サービスセンター。 来場者:「先週金曜日に申請してきょう受け取りだ… (出典:テレビ朝日系(ANN)) |
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【中国ビザ停止】混乱拡大…ゼロコロナ政策“崩壊”…春節“帰省しない人にボーナス” …は習主席の「引くに引けない事情」があるようです。 東京・江東区にある中国ビザ申請サービスセンター。 来場者:「先週金曜日に申請してきょう受け取りだ… (出典:テレビ朝日系(ANN)) |
※本稿は、インベカヲリ★『「死刑になりたくて、他人を殺しました」無差別殺傷犯の論理』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
阿部氏は、加害者家族の支援をはじめる前、引きこもりの家族をサポートする事業をしていた。そこでも家族の問題を大きく感じたという。
「過干渉だったり、子どもの将来を決めてしまうとか、そういうことをする親たちがほとんどでしたね。営利事業のサポートで雇うくらいだから、利用者は裕福な家庭が多かったんですよ。そういう中で家族はすごく悩んでいたし、家の中もめちゃくちゃだったんです。引きこもりのお子さんを自立させるのに3年くらいかかりました」
親は、「子どもを何とかしてください」と相談に来る。しかし、阿部氏は引きこもり本人よりも、親とのコミュニケーションが一番大事だと言う。とくに、家庭のことに対して知らないふりをする父と話をすると、変化も大きいそうだ。
父を家庭の問題に参加させれば、妻との会話が増える。夫婦仲が良くなると、母の関心が息子だけでなく夫に分散する。すると、息子とほどよく距離が取れ、関係が良好になる。このようにして阿部氏は、夫婦の距離が遠ければ近づけ、近すぎれば離す。夫婦の関係性が、引きこもりの子どもを変えていくのだという。
「世の中って、経済的に困っている家庭のほうが問題が多いようなイメージがあるじゃないですか。でも良い家のほうが、世間体があるから大変なんだなあと思いましたね。そこは加害者家族の状況を見ていて、まさにピタッときました」
引きこもりを生み出す家庭も、犯罪者を生み出す家庭も、「家族へのこだわり」が強く、そのゆがみに敏感に反応する人間が怒りを溜め込むという点で、構造が似ているという。
「無差別に人を巻き込む人は、ルサンチマンというか劣等感はすごいですよね、みなさん。無差別じゃないけど、『野田市小4虐待死事件』の勇一郎さんも、自分の親をすごく尊敬しているんですよ。4人家族でマイホームを買って……という生活をすごく当たり前で最低限の幸せと彼は考えている。
けど、現実は全然そうはいかなかった。収入も少ないし、妻は精神障害で暴れるし、子どもはなつかない。最低限と思っていることが何もできなくて、劣等感はすごくあったと思うんですよね」
勇一郎の場合、一人で子育てをしていたという経緯がある。仕事もして、子育てもして、収入も少ないとなれば、立ち行かなくなるのは当然だが、彼はサポートを受けることなく劣等感をつのらせていた。なぜ、サポートを受けなかったのか?
児童相談所が介入し、虐待が明るみに出れば、父としての未熟さが浮き彫りになり、プライドを傷つけられると感じていたのだろう。そこには男性特有のヒエラルキーの意識を感じる。
「無差別殺傷で、女の犯人ってほとんどいないでしょう。男ですよね、やっぱり。劣等感とか、勝ち負けとかのヒエラルキーがはっきりするのが男のような気がしますね」
(*編集部注)法務省の調査「無差別殺傷事犯に関する研究」によると、調査対象となった52名の無差別殺傷犯のうち、ひとりを除いてすべて男性である。
確かに、男性に比べると、女性の人生は柔軟にならざるを得ない。仕事をしていても女性という理由で出世できないこともある。かと思えば結婚によって大飛躍をする人もおり、その逆の人もいる。自分の努力と関係ないところで、勝ち負けがいかようにも変化するのが女性なのではないだろうか。一方男性は、学歴と収入があれば、すべてが手に入る、というようなシンプルな構造がある。
「私が学生や新卒だった頃は、男尊女卑が強い世代だったので、逆に女性はあんまりプレッシャーをかけられなかったんですよ。同世代の男の子って、すごくプレッシャーまみれというか、普通から外れたくないっていう意識は強いですよね。未だに地方では、独身男性だと就職もできない。家庭がある人のほうが責任感が強いとか、悪いことをしないという偏見がある」
しかし、そんな世間のイメージとは裏腹に、阿部氏の著書には、既婚者が起こす性犯罪の事例がたくさん出てくる。家庭を持っているから「まとも」というのは、幻想でしかないということがわかる。2018年に起きた「新潟小2女児殺害事件」では、新潟市の小学2年生の女児が誘拐され、わいせつ行為をされたあと、線路に死体遺棄された。このときの捜査にも「まとも」への幻想があったという。
「最初に疑われたのが、そのあたりで唯一の独身男性だったっていうの。それも田舎『あるある』だと思うんですよね。だから未だに雪国のほうはすごいと思うよ。青森県出身の加藤智大も、ヒエラルキー意識の強い親に育てられているじゃないですか。青森で勉強ができないと、やれることがないしね。だから傷だらけだと思います。傷だらけだったんじゃないですか」
これまでの話を聞いていると、特別な悪人ではなく、家庭や社会のゆがみを引き受けやすい敏感な人間が、殺人事件や無差別殺傷を起こしやすいというように思えてくる。ということは、適切なアプローチをすれば、ほかの犯罪を行った人々より更生はしやすいのだろうか。
「私は家族を殺した人たちとも親しくしているけれど、怖いと思わないもん。自分が殺される感じがしない。でもやっぱり凶悪犯と面会していて、ゾクッとするときはある。ストーカー殺人とかの人は怖い。背が高くてすごくハンサムなんだけど、目が怖い。ちょっと簡単には近づけないかな」
阿部氏が面会したのは、恋人へのDVとストーカー行為を繰り返したあげく、相手女性の家族を2人殺害した犯人だ。私から見ても、「好きだから殺す」という思考回路で行われるストーカー殺人は、無差別殺傷犯よりも、はるかにゆがんだイメージがある。
「あと、毒物を入れて殺したり、死体が見たくて殺したとか、そういう子たちはちょっと怖い。止められない殺人欲求を持っている。私が受けたケースは超エリート家庭で裕福ですけども、家庭環境は複雑でした」
それは、これまで話してきたような引きこもり家庭や家族間殺人、無差別殺傷犯の家庭とは、次元の違う異様さだと言う。
「夫婦仲も悪い。悪いというかなんというか、愛し合っている感じはしないけど、お金があるからつながってるみたいな感じかなあ。……まあ、ちょっと変わった家なんですよね」
阿部氏ですら、ニュアンスを伝えるのが難しいようだ。直感的に感じるところが大きいのだろう。
「人を殺してみたかった」などの、純粋な殺人欲求による犯罪には、『名古屋大学女子学生殺人事件』と『佐世保小6同級生殺害事件』がある。加害者はどちらも未成年の女子だ。阿部氏は、この二人の背景がとてもよく似ているという。
「更生も、私にはちょっと見えないなあ。なんかもう医療のほうじゃないですか。私の手には負えないです。加害者家族のことは支えますけど、ちょっと本人に会って何とかするってレベルではないような気がしましたね」
引きこもり家庭のように「親と話す」だけでは変わらないということだ。同じように家族の問題に端を発していても、それだけではない、ということなのか。
「親とかが、もうちょっと違うかかわり方をしていたら、やらなかったような気がしますけどね。二人とも頭の良い子なので、解剖医とかになれば良かった。的確にそういう道に導く方法があったような気がしますけどね。もともとやっぱり『死体を見たい』とか、『人が死ぬところを見たい』という欲求はあったみたいだから、そこは家庭環境で加速しましたし、学校や社会の歯止めがまったくなかったようです」
ストーカーは一般的に独占欲から殺害に向かうと言われている。どちらも、「殺す」ことそのものが目的となった時点で、引き返せないのではないかと阿部氏は述べた。
同じ殺人でも、「人を殺してみたい」と「死刑になりたい」では、他殺か自殺かという意味で、根本にある犯行動機は真逆と言える。2022年1月には、東京・代々木の焼き肉店で、店長を人質に立てこもる事件が起きた。犯人の男は、その場で射殺されることを望んでおり、所持していた爆発物は偽物だったという。逮捕後は、「人生を終わらせてくれ」「死刑にしてくれ」などと供述していた。
「自殺したいんでしょうね。死刑になりたいというのは、自殺願望でしょうね。確実に死ねるから。『死刑になりたい』と言っていた人に聞きましたけど、『自殺だと失敗して障害者になると困るから、死刑だと絶対に死ねる』と言っていました。その人は、大きい事件は起こしていないですけど。現実的に自殺って難しいんじゃないですか。死刑は確実で、最低限の苦痛だといわれてますから」
つまり、形の違う安楽死のようなものだ。自殺が目的で殺人を犯すなら、死刑制度はまったく殺人抑止にならないということになる。
「犯罪を起こす人を見ていくと、人を殺すことの中に、自分が死ぬことも入っていると思うんですよ。社会的に死ぬわけだから。家族間殺人の場合も、心中しようと思ってやっている。死刑で死ぬのが怖いから止めようと思う人は、もともとやらないと思うんですよね。死刑制度がなくなったところで、凶悪犯罪が増えることもないと思いますけど。あんまりそこは関係ないような。むしろ確実に死ぬ方法にとって代わっていってしまうような気がする」
「附属池田小事件」の宅間守も、「秋葉原無差別殺傷事件」の加藤智大も、「東海道新幹線車内殺傷事件」の小島一朗も、事件の前に何度も自殺未遂を繰り返している。そのとき、もしも死んでいたら、多くの犠牲者が出なかったことは確かだ。
「『死ぬ権利』みたいなのってどうなるのかなって、ちょっと考えたりもするんですよね。仮にですよ、自殺というものが認められて、ひっそりと死ぬようなことができるようになったら、殺人とかもなくなるのかなと思ったりもちょっとする。スイスで安楽死マシン『サルコ』が誕生したじゃないですか。あれですぐ死ねるんだったら殺人はやらないんじゃないですか」
私は想像して怖くなってしまった。確かに自殺幇助(ほうじょ)として安楽死が合法化すれば、死刑制度よりよほど殺人抑止になるのだろう。しかし、その発想はあまりにグロテスクだ。
「一歩間違うと、『入れ!』みたいになるから、同調圧力の強い日本では確かに問題はありますが、飛び降り自殺とか他人を巻き込むリスクは下がりますよね」
安楽死マシンを使って、いつでも好きなときに百パーセント死ぬことができるなら、それが安心材料となって、自殺も他殺も減るのかもしれない。しかし、当人を自殺に追い詰める、根本の「生きづらさ」への問題解決にはなっていない。
「やっぱり子どもの自殺には復讐が含まれると思うんですよ。子どもって言葉が不十分だから、それくらいやらないと伝わらないと思ってる。死が、いじめた相手や無関心な人々へのメッセージではないかと感じます。みんな忘れられなくなるし。だから、遺された人たちへの復讐を含む自殺もあり得ると思います」
人は追い詰められると、「命」を使って訴えようとするものなのか。
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「なぜ無差別殺傷犯は男性ばかりなのか」加害者家族の支援者が語る"彼らの共通点"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「なぜ無差別殺傷犯は男性ばかりなのか」加害者家族の支援者が語る"彼らの共通点"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん)とは、2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が重軽傷を負った。警察や裁判所、報道、更に犯人自身からは主に、秋葉原無差別殺傷事件(あきはばら むさべつさっしょうじけん)と呼ばれている。 85キロバイト (12,277 語) - 2022年6月12日 (日) 06:03 |